根堅村は明治22年4月1日、尾野村、及び於呂村と合併し赤佐村となりました。
於呂村は明治8年に御馬ヶ池村と柴本村が合併して出来た村です。
さらに南に本沢合という地名があります。
本沢合村は明治19年、本沢村が於呂村の一部と合併して出来た村です。
江戸時代の史料、遠淡海地志によると、本沢村は柴本村の枝郷であり、御馬ヶ池村は柴本新田とあります(静岡県埋蔵文化財調査研究所調査報告第234集)
さて、ここまで説明して何を言いたいのかというと・・・
今日3回分の日記に記された地名は、全て岩水寺に関係があるのです
岩水村、雲岩寺村、安泰寺村、尾野村、柴本村の赤佐地域5ケ村を「赤蛇五ケ村」といいます(遠江国風土記伝)。
遠江国風土記伝によると、赤蛇は赤狭が寛文以後誤って記されたとあります。
ところが・・・
岩水寺境内の阿弥陀堂(八幡宮)の棟札をよく見てみたら・・・

天正13年(1585年)には既に赤蛇郷という地名が使われております

ちなみに写真右の蛇は旧字体です。
根堅はあの世、極楽浄土を意味した上で天竜川の龍神化身(赤蛇)であるお地蔵様が岩水寺にいます。
於呂は於呂知(オロチ)、大蛇を意味します。
尾野の「尾」は赤蛇の尾を意味します。
で、赤佐ー赤蛇。