根堅その3

kenmyou

2012年05月31日 16:44

根堅村は明治22年4月1日、尾野村、及び於呂村と合併し赤佐村となりました。

於呂村は明治8年に御馬ヶ池村と柴本村が合併して出来た村です。
さらに南に本沢合という地名があります。
本沢合村は明治19年、本沢村が於呂村の一部と合併して出来た村です。

江戸時代の史料、遠淡海地志によると、本沢村は柴本村の枝郷であり、御馬ヶ池村は柴本新田とあります(静岡県埋蔵文化財調査研究所調査報告第234集)

さて、ここまで説明して何を言いたいのかというと・・・

今日3回分の日記に記された地名は、全て岩水寺に関係があるのです

岩水村、雲岩寺村、安泰寺村、尾野村、柴本村の赤佐地域5ケ村を「赤蛇五ケ村」といいます(遠江国風土記伝)。

遠江国風土記伝によると、赤蛇は赤狭が寛文以後誤って記されたとあります。

ところが・・・

岩水寺境内の阿弥陀堂(八幡宮)の棟札をよく見てみたら・・・



















天正13年(1585年)には既に赤蛇郷という地名が使われております
ちなみに写真右の蛇は旧字体です。

根堅はあの世、極楽浄土を意味した上で天竜川の龍神化身(赤蛇)であるお地蔵様が岩水寺にいます。
於呂は於呂知(オロチ)、大蛇を意味します。
尾野の「尾」は赤蛇の尾を意味します。

で、赤佐ー赤蛇。

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